カテゴリ:人形演劇について( 13 )




ながめくらしつ『終わりをみながら』

ながめくらしつは全公演をみているわけではないが
前回見たのは2014年4月の「おいていったもの」

(これはちょっと時間がなくて最後の5分くらいがみれていないせいもあるし
出やすいようにかなり後ろでみたせいもあるのだけど
そこまでの部分だけでいうけれど、)
これまでの作品だとこれよりは
2011年3月の「何かの中」がすきだった。

そして今回2014年12月の「終わりをみながら」

まずはホームページの紹介文から一部抜粋
http://nagamekurasitsu.com/show_daredemonai.html

 実力と個性を併せ持つ2名のミュージシャンと4名のパフォーマーを迎え
 エアリアル、マイム、アクロバット、ダンスなどの多様なパフォーマンスを取り入れて
 音とモノと身体の関係性をより繊細に美しく描き出す本公演『終わりをみながら』。



音楽がまず格段によくなった。
これまでも音楽にいた坂本弘道の音に
イーガルさんの音が混ざることで、音の中に光と闇が同時に存在するようになった。
光と闇でなくてもいい、優しさと哀しさでも、深い呼吸と浅い呼吸でも
いずれにしても音が二律以上の状態を同時に含む糸になった。
もっとも大きな変化かもしれない。



次に役者さん
バーバラ村田と塚田次実
これがまず奇跡・・・出会っていてもおかしくない距離にいたし
モノ使いという同じ側面を持つ二人だが
共演は初、この初なところもまたいい。
(もしかしたら回をかさねると、逆にあうんの呼吸がとれるようになって
今の絶妙な対存在感がすこし薄れるかもしれない)と思うほどに
同種でありながら異種であり、個でありながら対である。
次実さんの重力の強さと、村田さんのあやかしをはらむ躰。
立っているだけで見ていて泣ける質感の身体、これは役者の中でこのふたりだけのもの。

そして
谷口界、役者として見るたびどんどん良くなるが
今回の役柄は泳がせてもらっているのがいい。泳いでいるのがいい。
一公演全体を率いる力量もある彼だがその役どころを追わずにすんでいるだけに
気負わず出し切れているし、抑えることで引き込んでくるようなことも出来ていて
動きの質は風。
村田さんと次実さんが重力をもつ存在として、いっそ持たない。
こころすら飛ばせるような。
(ここを経てこの次の彼の演出作がいつかみてみたい)

長谷川愛実さん、
前回遠くから見ていてはわからなかったけど
今回最前列で見て、その肉の語ること
動きひとつを作る肉に始まりから見惚れた。

宮野玲さんのことは専門外なので述べられないのだけれど(すみません)
(個人的にリングの平面プラの質感にはボールの質感ほど愛が湧かなかったりなども…)

美術は名づけるようなものはなく
ポールとか扉とか呼ぼうと思えば呼べるが
おそらく見ながら名を認識はしない感じ。

各役者がモノと触れているのをぽーっとみていると
空間は次の風景になっているような

無言のままたぶん作品全体で90分くらいあったんじゃないかと思うけど
気が付けば後半の時間にいるだろう。

後半は
『終わりをみながら』
主題がよく消化されていく。

世界にこたえがあるとして
(ここでいうこたえは正答というよりは真理)
極めて正しい判断なのか(こたえをひろいあげているのか)
極めて正しい思考なのか(こたえにたどりついているのか)
目黒がどちらで作っているのかそれはわからないけれど
まったく間違わず真理を紡ぎだしていく

ティシューの天の長谷川愛実に対し
地をつかさどるバーバラ村田と塚田次実がいい。

波のようだった時間もそれが身体と結びついているのも。

ジャグリングやサーカス・エアリアルがただ夢をささやき、ひととき天にいざなうような幻でなく
ティシューの天の身体の下に、地の身体を挟むことで、【ここ】まで流れてくる。



そのあとの
客席から現れ舞台にあがる、ただ白い3つボールを
ただ何の技法もなくカスケードする目黒

それはもうジャグリングへの福音というか

はじめにみっつのボールがあった。
みっつのボールは、すべてとともにあって。
いくつ回すことが出来ても何人で受け渡すことができても、
それはみっつをまわしたときから、いまなおここにすべてを


そうした形で、作品の挨拶文
 「ながめくらしつの作品が持つ、舞踊や身体表現としてのジャグリングの可能性、
 そして創り手や自身の心の中を垣間見る様な、
 夢と現実と記憶の狭間の世界に是非触れてください。」
それはおわる。

音を残して奏者が消える。
光の中に白い3つ球をまわす目黒が残る。
光が消える。
最後の音が消える。



あえて次への道があるのなら大きくはふたつだろうか。
今回かかげているのが「音・モノ・身体」

国立ラボの系列では「(人形)・音・モノ・灯」なので
灯りの意識はすこし弱い気もした。

過不足はないが、
「音・モノ・身体」が多層化できたのに対し
灯りは一義である感があるといったらいいか

照明自体も光の中に闇があるような性質をもつことができたら



そして私の場合だとこういうの見ると途中何度かそのものに泣いてしまうのだけれど
(作品というのはこういうふうにどこで泣かせるでもなくただ泣けてしまうようなのでないといかんと思うわけだけれど)
webで感想をざっと見るとこれをうっとりと書いていた人も官能と書いていた人いたけれど

真理自体は誰もしらない真理ではなく
そこにあるものだから

もしこの先があるとしたら
目黒自身も知らないか目黒にしか見えないかどちらかの類の真理を可視化されたら
それは震える、だろうな・・・。


d0179447_331223.jpg

(チラシ裏の村田さんの写真は私撮ったのでした(^-^))



ヨハネによる福音書(新共同訳)
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
・・・
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by a-avenue | 2014-12-23 02:13 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

死者のためのヘブン

Candy coletteのお手伝いで
女子の楽屋を覗くと
彼女はまだだったけれど
ひとり気になるひとがいる

あれ?
見たことのある顔
人形系の誰かだ

プログラムを見ると
ヒトガタ、ぜったいこれだ
eucalyさん(スペルあやしい。ユーカリさん)

過去に会ったことあるひとだけど
誰か定かに思い出せない。
でも敢えてヒトガタとのことばをつかうなら、
何かあるはず

黒子覆面で顔を隠して現れた彼女を
正面前列でじっくりみる。
出だしから支配しにくるような絶対性を期待していたが
まだそこまでのものはない。

演目は全身黒づくめの彼女が所持していた赤いモノが
命をもっていく。


演じおえたあとで
お互いに顔だけ覚えてたので
名前から受け渡しをする。

一日の全部がおわって
ほとんどだれもいなくなった都庁でふたりで座って話す。

あれは死神なの。
人形に、いのちを与えて
それを奪い取る

死神か…、
そうきくとすっと入る

人形が物に還るところまでを
在る意味でまっすぐに受け止めるひとつの在りよう

その前に形に命を与えることもした

そして
「出してみたら一次審査に通っちゃったんだけど
これは途中まで(故)岡本(芳一)さんと作ってて

それをそのあとを自分でつくって

今日は岡本さんの為だけにやったの」

ただ一人の死者のために
ヘブンアーティストの二次を演じた人は
きっと彼女がはじめてなんじゃないのかな

再度演じるかは
わからないという

演じ終わりに
モーツァルトのレクイエムを鳴らすそれに
おそらく結果的にたったひとりの
これが受け止められる人として

ここに立ち会えてよかったと思った
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by a-avenue | 2011-09-10 02:06 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

人形をつくらない人形遣い

黒谷都さんとの話より


黒谷さんここから
-----------

岡本さんには
人形使いは人形をつくるべきだといわれたが
毎晩遅くまで人形を作っていて
操るほうもとなると私は倒れてしまう

だから私たちは、人形を作る人と操る人をわけた
もちろん最後の段階ではかなり一緒に相談しながらつくる
そうしないと操れない。

人形を使わない演劇の役者さんと一緒にやってよく言われたことは
ずるい


人形は指先ひとつすらきれいに出来ている

ふと持ち上げただけでも絵になってしまう



「人形じゃなくてあなたの自分自身の手をそう持ち上げても同じ表現にはならないじゃない」

といわれた


人形をつくる人形遣いならば
ふともちあげるだけでいい

わたしはそれじゃだめだと思った


たとえフォークをもちあげても同じことができないと。

-----------
ここまで




これは私こころするべき
今後のこととして。

手まわしオルガンを作る人ではない弾き手として
どうあるべきかのこととして。
それとつながると思いながら夜道を歩いてきた。
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by a-avenue | 2011-07-18 02:45 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

映画VEINに寄せての写真展まであと3日

昨日からUPLINKで映画『VEIN~静脈~』の公開はじまりました。
http://www.uplink.co.jp/x/log/003993.php

人形師岡本芳一さんが
昨年7月になくなられた今となっては
岡本芳一さんをもっとも知ることの出来る作品です。

7/22までの公開で毎日夜九時からのレイトショーです
よかったらぜひ

そしてこの映画に寄せての
写真展の企画をしています。
ずっと岡本さんをおっておられた写真家唐木さんの写真を軸に
吉田欽也さんと私の写真も飾っています。
http://www.uplink.co.jp/gallery/log/004038.php

写真展だけでもぜひなのですが
映画を観にきて写真展に立ち寄っていただけたらうれしいです。


日時:2011年7月6日(水) ~7月11日(月) 12:00-22:00
料金:入場無料
会場:UPLINK ギャラリー
〒150-0042東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F
tel.03-6825-5502


3人展で個展とはすこし意味合いが違うので
会場に常駐は予定していませんが
わりと近くにいることも多いので
もしご連絡いただけましたらご挨拶にあがらせていただきますので
お気軽にご連絡くださいませ。


映画のオフィシャルサイトはこちら
http://vein-dondoro.jimdo.com/

映画のtwitter
http://twitter.com/#!/VEIN_movie

映画の日替わりゲストがとっても豪華なので
そちらもあわせてぜひ

---------------------------------------

2010年7月6日午前7時14分、享年62才にて永眠された「百鬼どんどろ」の岡本芳一氏は稀代の人形遣いでした。

その姿は今、7月2日より22日までUPLINK Xにて公開の渡邊世紀監督の映画『VEIN -静脈-』で見ることが出来ますが、岡本氏の一周忌にあたる7月6日より1週間の会期で1階UPLINK GALLERYでは岡本氏を写した写真展を映画と同時開催いたします。

この写真展では古くから岡本氏を撮り続けてきた写真家唐木孝治が過去の岡本氏の作品の写真も含めた様々な貴重な写真を展示、また吉田欽也と紀あさは晩年の岡本氏の姿を捉えています。

『VEIN -静脈-』に寄せるとともに、今一度岡本芳一氏を振り返り追悼の意を捧げます。
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by a-avenue | 2011-07-03 23:22 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

渡邊世紀の 岡本芳一 VEIN と 人形のいる風景 に寄せて

人形にいのちをあたえる
その先にいったひと

 ふつう人形はいつもコトリと死ぬ

人形に命を与えることのできる人形遣いは多い。
私たちはそれを人形として見始めて
そこに現れた命にドキドキする

それは昨年の仙川の人形演劇祭のテーマが
inochiであったほどに
多くの人形演劇のめざすところなのだとおもう、きっと。

 それから人形はいつもコトリと死ぬ
 人形として。人形にもどる

VEINで岡本さんは
人形に命を与えるそのさきにあるいていった。
命あるものとしての死を

人形としての命の終わりとはせかいがちがった
もしかすると 人形としてはおわりのない

ここにあるものはなんですか

このときここにあるものは

どこまでいくつもりだったんだろうあなたは

VEINは岡本さんの演ずるところをみたことがあった。
だけど映画館の暗闇と光の中でからだの力が消えるように抜けた。


映画の中で渡邊さんは
だれもがきくような
使命として人にむかうひとが誰でもきくような質問をひとつする

「あなたにとって人形とはなんですか?」

"人の形に似せた器をつくる"
岡本さんのアトリエどんどろにいつもあった壁の文字がよぎるようなこの問いに
岡本さんは
「家族かな・・・」
とこたえ
「・・・一番長くいっしょにいた」
とつづけた


家族と呼びたい人は大切な人は幾人か居たのだろう
人はそれぞれに過ぎていき
ここで一番長くいっしょにいた

おわりまでも いままでも さきまでも 

そのさきまでも
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by a-avenue | 2011-06-24 02:53 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

ぼくらの森のフタバガキ

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写真はフタバガキの葉

d0179447_15113572.jpg
と木です

「フタバガキ」の名は、
「2枚の翼を持った種子」(dipterocarp)に由来するそうで

風が吹くとひらひらと舞い落ちてくる様子は、
さながら「羽子板」の羽根のようである。

種子を遠くまで飛ばすための物ではないらしく、
親木の真下にさえ落ちなければいいのかもしれないが、
羽根のある意味はよくわかっていないらしい。



相変わらずも人形演劇祭
興味の無い方すみません、しかししかし
連日興味ない人にさえ伝えたいほどの作品ばかりなのです。

第四夜
チェオボン
ぼくらの森には

ラオスからのラタナコーン・インシシェンマイとあさぬまちずこのユニットです

ここは仮面も椰子の実を削っただけ
あとはそれから木で編んだ帽子が顔にみたてられたり
造形作為は勿論しているのですが
手短に陳腐にいうなら
 自然派由来のナチュラル精霊系

えーい

「ラオスの人たちは、小さい命や動物、古い道具のいのちを当たり前のように感じている。
そこに理屈はないけれど、いのちはどんなところにでも生き生きと息づいている」
(パンフレットより)

みんな自分の作品の紹介文がうまいわ・・・(下手に私が語らん方がいいとです・・・)
そんな感じの物語です
ぐろてすくの一歩手前の顔した仮面の生き物がそこへと誘う

そして物語の終わりに「フタバガキ」がひらひら ひらひら ひらひら
いっぱいいっぱい上から舞い降りてくるのです

光で輝くさいごのひらひらが落ちたらお話はおしまい


本当に天使の羽でも降りてきたかのようなのだけれど
オモリも仕込みも一切なしの「フタバガキ」の葉そのもの

お芝居の世界がおわったあとで
だから
ああ
この世界は、ラオスにいったら、
すぐそこにあるんだな

空想でもなんでもなくて


そんな読後感を染み込むようにのこします


こんな毎日感動の種類が違うのってすごいよ。。。

きのうまでは個々の作品に感動してたんだけど
ここまできてこのラインナップはプロデューサーサイドがすごいなぁ・・・
と全体に感嘆

明日はいよいよ楽日
その黒谷都のKu in Kaです

もうなんかこれでおわっちゃうのかとおもうとすでにかなしい 笑
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by a-avenue | 2011-03-05 23:47 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

ながめくらしつとバーバラ村田と音の人

人形演劇祭三日目

先行はなかめくらしつ「何かの中」
タイトルが何かの中だったというのは今これを書いていてはじめて意識した
その必要すらない なんの解説もいらない
すばらしい舞台だった

これは歴史にのこるな。。。
途中でぼんやりとそんなことを思った
10年後20年後あの日のこの舞台をみたことを
いまだあせずにきっと誰かに話せるだろうと

これだけの才能がふつうなら海を渡ってしまっておかしくない
この場所でこの時代に同時に在れることにただ感謝さえおぼえるほどの
何かを誰かと話したいような
誰にもいわずこのまま抱えていたいような

そんな思いでいた。
ややもして同じ舞台をみていた紙麿呂氏から
「俺もいますごい瞬間にいるのかも!って思った」とのメール。

誰もにとってそうだった。

凄いの一語。ありがとう





続いてバーバラさんのかたわれ

この仮面の演目を観るのは幾度目かな
今回は安心して細部までゆっくり味わうんだー
なんておもっていたのだけれど
そんなことはゆるしもしないバーバラ村田の世界です

『私の中の沼に棲む 泣く女 笑う女 怒れる女に イカレタ女・・・』
そう語るこの演目は、そう演じていくのだけれど
回ごとに作品それ自身がすらまた違う女で
ちょっとぞくっとしちゃうのです





普段から大道芸とかで会っているだろう人たちだけあって
ニ作品のつなぎ方とかも通じ合っていてとても見事

出演者がすべて紹介されて
さいごのバーバラさんの挨拶は、
仮面使いとしてのそれではなくて路上の人のものだった。
「またあう日まで さようなら」

いいなとおもった。
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by a-avenue | 2011-03-04 21:50 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

人形演劇祭のパンフレット2011

写真は人形演劇祭パンフレットより


バーバラ村田さんの公演の写真のところでkinoasaクレジット・・・
この演劇祭の印刷物で自らの名を目にする日がくるとは・・・
d0179447_14524281.jpg





このパンフレット掲載の写真は
シアターX 2010年2月の村田さんのソロ公演「よるべない女たち」のゲネから
この写真の公演で照明をつとめた照明家のアイカワマサアキ(相川正明)氏は
2010年の暮れに永眠されました。
写真にのこる光は、村田さんをしっかり包んでいます。
ご冥福をお祈りいたします。
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by a-avenue | 2011-03-03 23:30 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

人形演劇祭 inochi

一年でもっともしあわせな一週間です
そんな週は、さくらが咲いても、花火が咲いても、やってくるのですけど。

昨夜がはじまりオープニングイベント
今回正式出展はしない かわせみ座さんの パーン 10分程度のショート

ちいさな人形がちょこちょこちょこっと
それはたのしそうに
本当のコビトのように
寄ってきてはヒトの頭の上で平気でくしゃくしゃって彼の髪の毛乱して
帰ってみたり
とても自由にうごきまわります
こんなちっちゃいままにそれはもう生きてて
舞台なしのすごく近い距離で見れてすごいよかった


一日目
チバドロ・アノ
コトバにするのが難しいですが
絵としては見たことのない様な
はじまりからそれを抱えているような
そんな情景を次々と描いていきます

人形は等身大
その皮膚を主に操る北井あけみさん(で、あってると思う)
の表情もまたすごくいい

大胆さを孕んだ綺麗で優しくは無いすこしあたたかい話。

(このヂバドロアノの配役の書き方がすてきですhttp://www.k5.dion.ne.jp/~ano/darine.html)


二日目
こちらは去年単独公演を見たので個人的には今回見送りの沢さん

三日目
バーバラさんと音の人 & ながめくらしつ
いつも、そして今回も楽しみです

四日目
ラオスの人形遣い チェオボン
はじめてみます
この日の仕事をこれにまにあう時間に組むのに翻弄しました
朝六時起きだよぅー

五日目
Ku in Ka 音霊
本家 黒谷都さん
ことばなく なにもいらないときをすごせることでしょう


あと昼もいろいろあるけど
かかし座ひとみ座れもん座トロッコ

チケットがほぼsold outなので是非といえないとこもあるのですがぜひ
各日すこしずつ当日枠を残しているそうなので
1時間前から販売だけどそのさらにもうちょい前からならぶ気でいけば
運がよければいけるかも・・・


本当に自ら動いているような人形たちを
どうことばにしようと町を歩いていて
  いのち
って、ことばにあたって
それじゃタイトル通りじゃないか・・・


くやしくなるほどしあわせです
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by a-avenue | 2011-03-03 23:17 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

私的れくいえむ

訃報をきいたのが前の夜で
明け方5時ごろに寝付いた

8時には目覚ましをかけていたが
おきれるはずもなく
朝やるつもりだった前日撮影のデータチェックを京浜東北線で揺られながら

昼舞台ゲネ撮影
初日が見たかったが新宿に飛び
コインロッカーに重い機材を格納。

ワンセットだけカメラ持って
20分後の長野行きのバスの空席をたずねて乗る。

サービスエリアで長野のタクシー会社に電話
バス停まで迎車を頼む
8時50分着予定、9時までの通夜にはまにあわなそう
アトリエの住所を伝えると行き方しらべておいてくれるとのこと
「きっとはやくつきますよ」

ひとつ手前のバス駅で15分ほど早い
もう一度電話しタクシーに早くきてもらい、葬儀場に向かう

遺影というものの力に
やられそうになる

こみあげるものがあるも、
遺体をみて唖然とする

これ、ほんとにご遺体か・・・?

遺体風に誰かが
合成樹脂で作ったんじゃないかと
そんな気がするほどに
からっぽ

ふしぎな遺体だった

かなしみとか
どっかにいっちゃうほどの

「岡本さんもうあそこにいないよね」
とまめたろーさんがいう
うん、いない。。。

「きっとすべてを人形にこめちゃったんだ」
それはそれでどうかわからないけど

器を作っていたのなら
どこかの器にいるのだろうか・・・

一度対面したあと戻り
ご遺族の方に断りをいれ写真に撮る



のべ20人くらいの
集ったひとたちとすこし話して
それから人形部屋に篭って
それぞれの人形と話そうかと思って

しばらくして入ってきたまめたろうさんと
ひとりではさわれなかった布の仮面を掘り起こすと
どんどん布に別の顔がついてるんだけど
おくまで行くと岡本さんのライフマスクがでてきて
かなわないなと

そこまでいくと出会えるように
もとにもどした

ライフマスクをみながら
これだよな あんなんじゃなくてこれが岡本さんの顔だよな
とまめたろうさんがいう

三時半にいったん寝た
朝まで起きてるくらいはできそうだったけど
それやったらぜったい読経で落ちる

みんなは朝までかと思ったら四時半くらいにねたみたいだ
明け方を歩くために六時と六時半に目覚ましをかけ
六時半前におきる

上へ行こうか下へ行こうか

川の印象と田の印象があった

ある川が下に見えたのでそれを目指す
細い道はどれも行き止まりになってしまう

なんどかゆきつもどりつ
最後は車道にそって川へ

なんともいえないのだけど
さがす

明日まではなんならいようと思っていた。
でも明日までここにいたくならないように
ぜんぶ今日おさめるんだと

わかれとはそんなものなのですか
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by a-avenue | 2010-07-12 00:08 | 人形演劇について | Trackback | Comments(0)

手回しオルガンの木の音色 まちからここから www.temawashi.org
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