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じょんがら一代

ギリヤークさんのよく知られる演目のひとつに
『じょんがら一代』というのがあって

「ぼくの芸は一代限りの芸だから」という言葉を聞いたことがある。

ある時、公演後に稽古小屋で眠りにつくと
夜明け前、時計は五時半、ギリヤークさんが早くも目を覚まして、応接間の机に向かい、考えごとをしている風で

「そうか…、一代っていうのは、
ぼくを超える芸人が出てほしくてつけたんだった…」
と独り言が聴こえる。

その日の夕方、ギリヤークさんは今度は会話として、こう言った。
「一人でずっと踊ってきたけれど、
もしも誰か、後継ぎがでるなら、小さな子ども、女の子か男の子がいいな、踊りが好きな。
僕のいいとこだけ見習ってそれを超えるつもりでやる男の子か女の子、
そしたら僕は少しだけ踊りを教えたら、あとは自分の感性で踊るようにって言う。
僕の踊りは僕だけの踊りだから」

一見違うみっつの言葉が、側面になる。

ギリヤークさんの踊り。
幼いころ父と見た三味線の音の記憶、
若い妹の早すぎた死、母との時間、
生きたかった声が聴こえる、どこからも幾度も、
抱える記憶、重ねる踊り。


そして私はそのギリヤークさんを
こうして近くから、この大道芸の先人を、
写真の師がレンズを向けた人と同じ人を、今、撮っていて。
大道芸への思い、写真が残すもの。


続いているもの
受け渡されるもの
受け継ぐもの

一代のもの。








by a-avenue | 2015-04-06 19:00 | ギリヤーク尼ヶ崎

手回しオルガンの木の音色 まちからここから www.temawashi.org
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