踊る生き様

ある日のギリヤークさんは、体調がよくないらしく、いつになく弱気で

「だってもう踊れないよ…手も上がらない…」
「僕もう、自殺した方がいいんでない?」

そんなギリヤークさんに、
「死んだらだめだよ。みんな生きたかったよ」
というと
「やっぱりそう思う?生きたかったよね」
と、生気を取り戻した。

それから
「みんな、ギリヤークさんの生き様が見たいの?」
と聞くから(ギリヤークさんは自分でギリヤークさんということが時々ある)
「そうですよ。88まで踊る生き様を」
と励ましの言葉を探し渡して、別れたあと一人になってから

・・・見たいのは生き様なのだろうか・・・、と

生き様は生きた結果で
踊るなら踊り手が見せるのは、『生き様』ではなく、あくまで『踊り』である筈で
踊り続けるその姿がいつか生き様と呼ばれることはあるかもしれないけれど、
と…そんな風に悩みめぐる。

けれどまたその次に会ったときも
「生き様を踊る」
ギリヤークさんは自身でこの言葉を使った。

ギリヤークさんの、『念仏じょんがら』という、踊りがある。
踊り終わりに「かあさぁん」と叫びながら亡き母の遺影を抱えることでよく知られた踊りだが
実は最初は母の為ではなく、亡くなった妹に作った踊りなのだという。
「妹は小さいころに脳性マヒをしていて、いろんなことがよくわからくて、でも僕にはなついてていつもあとをついてきてた。祖母が亡くなった時に妹は人が死ぬということがわからなくて「ばばちゃに会いにいきたい」と亡くなってから何度もいった。
でも妹が大人になって、25歳で、もう彼女の命が終わるというときに「ばばちゃのとこにいくか?」って聞いたら
「やだ」って首を振って、目に涙を溜めて…、死ぬ前になって死ぬということの意味が彼女はわかってしまったんです…」

そんな妹への踊りが念仏じょんがら、なくなったのが●年、初めて踊ったのが●年だから
「妹の死のあと、この踊りができるまでに20年もかかったんだなぁ・・・」

その念仏じょんがらを、今ギリヤークさんは、
その後亡くなった母や、生きたかった様々な人たちへの想いを込めて踊る。


生きているから、生きた時間が踊りになって
踊り続けた姿が、生き続けて、生き様になっていく。

ギリヤークさんは、ただ渾身に踊りを踊っている。

だから、その踊り、生き様から、直接与えられるような問いかけはないのだけれど
身を削り命を削りながらも、この路上で踊り生きる姿の前で、見ている人は自ら何かを受け取ってしまう


時に問いの形で

 あなたはどう生きるのか
 自分はどう、生きるのか


時に勇気の形で

 生きようと





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by a-avenue | 2015-04-07 02:09 | ギリヤーク尼ヶ崎

手回しオルガンの木の音色 まちからここから www.temawashi.org
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